「固定残業代制」は、割増賃金(残業代)の支払方法の1つとしてよく利用される方法ですが、悪質な使われ方をすることが多く、「ブラック企業」の代名詞ともなっています。
本来、労働基準法では、「1日8時間、1週40時間」という決められた「法定労働時間」を超える労働に対しては、割増賃金(残業代)を支払わなければなりませんが、これを、あらかじめ、まとめて支払うのが固定残業代制です。
固定残業代制は正しく運用されれば有効であり、違法性はありません。しかし、ブラック企業は、残業代を事前に、まとめて支払うことによって、残業代の総額をあいまいにし、本来であれば支払わなければならない残業代を不当に支払わず、人件費の抑制策として利用してきました。
そこで今回は、固定残業代制を導入している、もしくは、これから導入しようと検討している企業に向けて、固定残業代制が違法、無効と裁判所で評価されてしまわないためのポイントについて、弁護士が解説します。
「残業代請求」弁護士解説まとめ
目次
固定残業代制とは
固定残業代制とは、労働基準法37条に定められた計算方法によって実労働時間に応じた割増賃金(残業代)を支払うのではなく、あらかじめ会社の定めた固定額を、残業代として支払う制度のことです。
固定残業代制には、大きく分けて次の2つの種類があります。いずれの方法でも、有効要件は同じです。
- 固定残業代を基本給の中に含んで支払う方法
- 固定残業代を一定額の手当として支払う方法(固定残業手当)
固定残業代制の背景、理由
固定残業代制を正しく運用せず、同制度を採用することによって残業代をあらかじめ全額支払ったものとして扱い、その後の労働時間管理をせず、固定残業代の金額を上回る残業代が発生しても支払わないことは、違法な未払残業代を発生させます。
このように残業代の総額を抑制することで、総額人件費を固定することが、ブラック企業を中心として、残業代を抑制する有効な策として活用されてきました。
この取扱いの中では、どれほど長時間労働をさせても残業代が増加しないため、固定残業代制は長時間労働を助長するようになり、パワハラと組み合わせて考えられるようになりました。
しかし、現在では、固定残業代制について、裁判所における厳しい判断が相次いで出ており、労働者側から労働審判や裁判などの法的紛争を起こされてしまった場合、十分な知識の裏付けや準備のない固定残業代制は無効になるおそれが非常に強いです。
固定残業代制のメリット
固定残業代制は、長時間労働やパワハラの温床となることが多く、違法な残業代未払を発生させる危険がある制度であるにもかかわらず、多くの企業で採用されてきたのは、固定残業代制に労使双方からみてメリットが少なからず存在するためです。
残業代の複雑な計算を回避できる
会社側にとって固定残業代制を採用する最も大きなメリットとして、あらかじめ一定額を残業代として支払っておくことによって、労働基準法にしたがった残業代の計算を省略することができるというメリットがあります。
固定残業代を上回る残業代が発生しない限り、全従業員の残業代を一律に管理することができます。
ただし、固定残業代制を無効と判断する裁判例にしたがえば、固定残業代の金額を上回る残業代が生じる場合には差額を支払わなければなりません。そのため、実際にはどれだけの残業代を支払わなければならないかを計算し、事後的に清算をしなければならず、このメリットはもはやそれほど大きくはありません。
賃金総額を高く見せることができる
固定残業代は、残業代として支払われるものであることから、残業代計算の際に基礎単価には含まれません。そうであるにもかかわらず、月ごとに支払う賃金総額には含まれます。
そのため、固定残業代制を導入することによって、会社にとって支払うべき金額の総額を増やさずに、月額賃金総額を高く見せることができるというメリットがあります。これにより、固定残業代制を導入していない企業に比べて多くの賃金がもらえるような外観を作ることにより、求職者に選んでもらいやすくするというメリットがあります。
ただし、固定残業代制を悪用する企業が相次いだ結果、現在では、採用時にも固定残業代が賃金総額のうちいくら存在するかを明示することが求められており、このメリットもまた、いまやそれほど大きくはありません。
残業時間にかかわらず固定収入を得られる
以上の企業側のメリットだけでなく、労働者側にとっても、固定残業代制によって、残業時間にかかわらず一定の固定収入を保障してもらうことによって、生活が安定するというメリットがあります。固定残業代分を月々もらえることを前提として生活費やローンなどを計算できます。
他方で、このことは、企業側にとっては、労働時間が少ない労働者に対しても一定の残業代を支払わなければならないことを意味しています。
業務効率を上げるインセンティブとなる
固定残業代制を導入し、一定額の残業代をあらかじめ支払っておくことによって、労働者側にとっては、業務効率を向上させて仕事を早く終わらせるインセンティブとなります。
長時間の残業をしても、固定残業代の金額を上回る残業代が発生しない限り、残業代が支払われることはないので、できるだけ仕事を早く終わらせるために頑張ることに繋がります。固定残業代制を採用することによる業務効率化、生産性の向上効果は、労使いずれの立場にとっても大きなメリットとなります。
固定残業代制のデメリット
固定残業代制には、以上のとおり、労使いずれの立場からもメリットがある一方で、デメリットも存在します。
デメリットの大きさは会社の規模や業種、社員数などによっても異なりますが、固定残業代制を適法に導入することには、相当な手間がかかると考えるべきです。
労働時間の把握は依然として必要となる
後述するとおり、固定残業代制について厳しく判断する裁判例によれば、固定残業代制を有効に運用するためには、固定残業代を超える残業代が発生する場合にはその差額を清算する必要が生じます。
固定残業代を超える時間だけ残業をしているかどうかについて、制度導入後もチェックをする必要が生じることとなります。
つまり、労働時間を把握し、管理する企業側の義務は、固定残業代制を導入した後でも変わらないということです。そのため、「労働時間の把握が面倒である」という理由で固定残業代制を導入すべきではありません。
悪質なブラック企業との風評を招く
固定残業代制について、無効であると判断した裁判例をきちんと理解せず、「人件費を抑制したい」といった安易な動機で採用すると、労働者側から「ブラック企業」との反発を招くこととなります。
固定残業代制に関する厳しい判断を下した裁判例を理解していないことは、単に残業代の未払いが発生してしまうというリスクのみならず、企業イメージを損ねたり、名誉を棄損され、信用を失ってしまうおそれにもつながります。
高額の残業代請求のリスクがある
労働審判や訴訟などにおいて、固定残業代制が無効であると評価された場合には、違法な残業代未払の状態があったこととなります。
この場合、未払となるのは、固定残業代の金額分はもちろんですが、それだけではありません。というのも、固定残業代制が無効となる場合には、残業代の計算の際に、固定残業代を基礎賃金から控除できないこととなり、残業代計算をする際の基礎賃金が、より高額になるからです。
あわせて、悪質な残業代未払の状態が継続していたと評価されると、訴訟においては付加金の支払いを命じられるおそれもあります。
固定残業代制が有効となるための要件
固定残業代制について、企業側において導入をする大きなメリットがあり、かつ、悪用をすれば更に、残業代を含めた人件費を不当に抑制する方法ともなります。
そのため、固定残業代制が悪用され、労働者に対する不当な不利益を与えるものとならないよう、裁判所においては、固定残業代制を有効なものとするためには、厳格な要件を満たす必要があることが示されています。
固定残業代制を導入する企業側においても、最高裁をはじめとする裁判所の示した基準を理解し、正しい方法で、固定残業代制を導入することが重要です。
裁判例においてこれまでに示されてきた、固定残業代制の有効要件は、大きく分けて次の2つです。
- 明確区分性
:時間外労働に対する割増賃金(残業代)と、通常の労働時間に対する賃金が、明確に区分されていること - 差額支払の合意
:固定残業代を超える残業代が発生する場合には、差額を支払う旨の合意がなされていること
ただし、次に解説をするとおり、下級審裁判例は必ずしも統一的な見解を示すものではなく、判断基準は揺れていると言わざるを得ません。
そのため、固定残業代制を導入するにあたって、どの程度の配慮が必要となるのかは、固定残業代制のメリットがどれほどあるのかとも比較考量して、経営的な側面からも検討していかなければならない難しい問題です。
【要件1】明確区分性
固定残業代制の有効要件の1つ目である「明確区分性」とは、時間外労働に対する割増賃金(残業代)と、通常の労働時間に対する賃金とを、明確に区分できることが必要であるという意味です。
これは、固定残業代だけでは、発生した残業代の支払が不十分である可能性があるときに、労働基準法にしたがって計算した残業代との差額としていくらの支払義務があるのかを、労働者側においても検証できる必要があるためです。
逆に言うと、労働者側で、実労働時間に対して、固定残業代に加えていくらの残業代を支払ってもらうことができるのかがわからない場合には、その固定残業代制は無効と判断される可能性が高こととなります。
【要件2】差額支払の合意
固定残業代制の有効要件の2つ目である「差額支払の合意」とは、固定残業代として支払われた金額を超える残業代が発生する場合には、その差額を支払う旨の合意が必要であるという意味です。
また、清算の合意があるだけでなく、実際に清算を行っていなければ、未払残業代が発生してしまうことはいうまでもありません。なお、清算の合意に加え、清算の実態までもが、固定残業代制を有効とするための要件となるのかどうかについては、前述したとおり、下級審裁判例の中で基準が定まっていない部分があります。
とはいえ、そもそも清算の合意があるだけで、実際には清算を行っていない会社は、実労働時間の把握、管理を行っていないなど、残業代に関する意識の低いことが多く、このような場合には、労働者の準備した証拠にしたがって残業時間を認定され、高額な残業代請求が認められてしまうおそれがあります。
固定残業代制を有効・無効と判断した裁判例
固定残業代制の有効要件を理解するためには、固定残業代制について判断をした裁判例を理解することが重要となります。
というのも、最高裁判例をはじめとして、固定残業代制について、要件を満たさず無効であるとして労働者側の残業代請求を認容した例が少なくないためです。
小里機材事件判決(最高裁昭和63年7月14日判決)
小里機材事件判決(最高裁昭和63年7月14日判決)では、1か月あたり15時間の時間外労働に対する割増賃金を基本給に含める、という固定残業代制に関する合意が有効であるかどうかが争われました。
一審判決では、固定残業代制の有効要件を示した上で、基本給部分と残業代部分とが明確に区分されて合意されていたこと、労働基準法所定の計算方法による金額がそれを上回るときは差額を支払うという合意がされていることを認定し、固定残業代制が有効であると判断しました。
そして、高裁、最高裁もまた、この一審判断を是認しました。
高知県観光事件判決(最高裁平成6年6月13日判決)
高知県観光事件判決(最高裁平成6年6月13日判決)では、歩合給制の賃金体系が採用されていたタクシー会社の運転手がした残業代請求に対して、会社側が、歩合給によって支給していた賃金の中に、時間外・深夜労働に対する割増賃金(残業代)が含まれているとして争った事案です。
最高裁判決では、明確区分性を固定残業代制の有効要件であることを示した上で、歩合給の金額が、時間外労働、深夜労働を行っても増額されるものではないことから、通常の賃金と明確には区分されていないことを理由として、固定残業代制を無効とする判断をしました。
なお、高知県観光事件判決では、明確区分性の要件を満たさないことを理由として固定残業代制を無効であると判断しており、差額支払の合意の有無については判断をしていません。
テック・ジャパン事件判決(最高裁平成24年3月8日判決)
テック・ジャパン事件では、基本給を月額41万円とし、月間総労働時間が180時間を超える場合には1時間あたり2560円を支払い、月間総労働時間が140時間に満たない場合には1時間あたり2920円を基本給から控除するという合意されていました。
このような複雑な定め方において、通常の労働時間の賃金にあたる部分と、時間外の割増賃金(残業代)にあたる部分とを判決することができないことを理由として、固定残業代制の有効性を否定しました。
固定残業代制を導入する際の注意点
最後に、以上のような固定残業代制の有効性を否定した裁判例があることに配慮して、少しでもデメリットやリスクを少なくしながら、固定残業代制を導入するために、企業側が理解しておくべき注意点について解説します。
手間を省き、従業員のモチベーションを向上させるといった一定のメリットの認められる固定残業代制ではありますが、十分な準備なく導入することは控えなければなりません。
残業の対価であることを明示する
固定残業代を手当として支払う場合には、残業の対価であることを明示しなければなりません。残業の対価であるとは、すなわち、残業をした時間に比例して、連動して金額が決まることを意味しています。
例えば、賃貸住居の有無によって決まる住宅手当、扶養家族の人数によって決まる家族手当、交通費実費を支給する通勤手当などは、残業をした時間に比例して支払われるものではなく、残業の対価とはなりえません。
就業規則や賃金規程に「割増賃金に充当するものとする」と規定すべきことはもちろんのこと、実態としても、時間外労働の量に応じて支払われているのでなければ、固定残業代とはなりません。なお、その手当の一部に、時間外手当として支払われる部分と、そうでない部分が併存している場合には、明確に区分されていることが必要となります。
手当の名称についても、例えば「残業手当」とするなど、残業の対価であることが明らかとなる名称を付けておくことが重要です。
固定残業代の金額を明示する
固定残業代として支払う金額と、通常の賃金として支払う金額とを区分するための方法として、「基本給のうち〇万円を残業代に充当する」というように金額で明示する方法と、「基本給に〇時間分の残業代を含む」というように残業時間数で明示する方法とがあります。
労働基準法における残業代の計算方法を正しく理解していれば、金額で明示する方法であっても残業時間数で明示する方法であっても、いずれでも変わりはありません。つまり、いずれの方法で明示されていても、労働基準法どおりの残業代が満額支払われているかの検証は可能です。
ただ、労働者がすべて、労働基準法における残業代の計算方法を正しく理解しているとは限りません。そのため、固定残業代制を導入する企業側としては、必ず、固定残業代がいくらであるかを金額で明示しておくことが重要です。
就業規則を整備する
常時10人以上の従業員を使用している事業場では、就業規則を作成し、労働基準監督署に届け出ることが義務付けられています。
そして、先ほど解説したとおり、固定残業代制を有効に導入するためには、「明確区分性」と「差額支払の合意」の2つの要件を満たさなければならず、これらの要件を満たすためには、就業規則、賃金規程などの規程類に適切な定めを置くことで、固定残業代制のルールを労働者に周知することが重要となります。
そのため、固定残業代制に関する就業規則の定めは、「明確区分性」と「差額支払の合意」を満たし、どのような残業代に対して、いくらの金額が充当されるかが一目して理解できる内容とする必要があります。
固定残業代として支払う時間を長くし過ぎない
固定残業代として支払う時間には、法律上の上限はありません。しかしながら、固定残業代として支払う時間が長すぎると、長時間労働を助長し、労働者の健康を害してしまうことが不安視されます。
固定残業代制に組み込む残業時間数の上限がどの程度かについては、残業時間の上限基準を参考にして、「45時間」が一定の目安になると考えられます。実際に裁判例においても、ザ・ウィンザー・ホテルズインターナショナル事件(札幌高裁平成24年10月19日判決)では、95時間分の時間外労働に相当する固定残業制について、公序良俗に違反する可能性を指摘し、月45時間の範囲で有効であると判断しました。
固定残業代として支給している金額を多額にし過ぎてしまうと、基本給とのバランスがとれなくなるという問題もあります。基本給に比して、あまりにも固定残業代の額が高すぎる場合には、合理性を欠き、固定残業代制が無効と判断されるおそれがあります。
また、固定残業代として支給する金額が多すぎると、労働時間1時間あたりに支払う賃金が、最低賃金を下回る水準となってしまうリスクもあります。
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今回は、最高裁判例を中心として、裁判所から企業側にとって厳しい判断を受けてしまうことの多い「固定残業代制」について、その導入理由、背景、メリットとデメリット、有効要件や導入時の注意点について、弁護士が解説しました。
本来であれば固定残業代として既に支払い済みであると考えていたにもかかわらず、更に残業代を請求されてしまわないよう、固定残業代制の導入時には細心の注意が必要となります。
十分な準備や、裁判例に関する正しい理解なく固定残業代制を導入してしまうと、いざ残業代請求をされたときに、労働基準法にしたがって残業代を支払っておいたほうがリスクが少なかったと後悔することともなりかねません。
固定残業代制を導入する際には、万が一にも制度自体が無効となって多額の残業代請求を受けてしまわないよう、ぜひ一度、当事務所へ法律相談をご依頼ください。
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