優秀な人材は企業にとってかけがえのない財産です。しかし、競合企業や退職した元社員による不当な「引き抜き」で、人材を失うケースも少なくありません。退職は自由とはいえ、意図的な引き抜きを繰り返されると、企業にとって大きな損失です。
この際に問題なのが「引き抜き行為は違法か?」という疑問です。
勤続年数が長く、高い役職の人ほど、他社員の引き抜きは容易です。しかし、悪質性が高い場合、不正競争防止法違反や不法行為として違法となり、損害賠償や差止請求が認められることもあります。裁判例でも、一斉かつ大量の社員への勧誘、会社の不正確な情報や誹謗中傷といった悪質な手段による引き抜き行為について、違法と判断したケースがあります。
今回は、退職者による引き抜き行為を防止するための事前対策と、万一引き抜き被害に遭った場合の事後対応について、企業側の視点で解説します。
- 引き抜き行為を禁止するため、事前に競業避止義務を負わせる
- 退職後の競業避止義務は法律上必ず負うわけではなく、誓約書が必要となる
- 悪質な引き抜き行為は違法であり、損害賠償や差止請求による責任追及が可能
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引き抜き行為の手口

引き抜き行為とは、他社に在籍している従業員を、意図的に自社へ転職させようと働きかける行為を指します。一般に、優秀な人材や、上位の役職に就く社員を対象とするため、引き抜かれた企業は、その人材を失うことで大きな不利益を負います。
引き抜き行為の典型的な手口は、次のようなものです。
- スカウト活動・ヘッドハンティング
人材紹介会社やヘッドハンターを通じて、特定の人材に対し直接アプローチを行う方法です。近年はSNS(FacebookやLinkedInなど)で接触する例もあります。特に経営層や高度の専門職を対象として行われる場合に「ヘッドハンティング」と呼びます。 - 転職の勧誘
競合企業の経営者や人事担当者が直接コンタクトを取り、具体的な待遇を示して転職を誘導するケースです。特に同業他社や取引関係にある企業間で発生しやすいです。 - 元社員による接触
競合企業に転職した元社員が、現職の同僚に対して「一緒に働かないか」と誘いをかけるケースです。退職後も続く人間関係を活用して転職を促すと、組織的な人材流出を招く例もあります。
引き抜きの全てが違法なわけではありませんが、その手法が不正競争防止法や不法行為、退職後の競業避止義務などに抵触する場合には、違法行為となります。引き抜きをしようとする側が違法にならないよう注意すべきはもちろん、引き抜かれる側でも、不当な勧誘が発覚したら厳正に対処する必要があります。
引き抜き行為が違法になる場合とは?

次に、裁判例の判断基準をもとに、違法となる引き抜き行為の例を解説します。違法と判断されれば、会社は引き抜きをした人や会社に対し、負った損害の賠償請求をすることができます。
不正競争防止法違反の場合
引き抜きの過程で不正競争防止法違反がある場合、違法であることは明らかです。
不正競争防止法2条6項は、「営業秘密」について「秘密として管理されている生産方法、販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって、公然と知られていないものをいう」と定義しており、①秘密管理性、②有用性、③非公知性が要件とされます。不正競争防止法に触れる引き抜き行為は、以下の不法行為や退職後の競業避止義務に違反しなくても、損害賠償や差止請求の対象とすることができます。
前職の営業秘密、具体的には、特殊なノウハウやマニュアル、顧客リストなどの入手を目的とした悪質な引き抜き行為は、不正競争防止法違反になりやすいです。
秘密保持義務・競業避止義務違反の場合
後述「秘密保持義務・競業避止義務の誓約書を書かせる」の通り、入社時や退職時、労使の間で合意によって秘密保持義務・競業避止義務を負っていた場合、これに違反する引き抜き行為も違法の可能性があります。
例えば、秘密保持義務に違反して、退職後に企業秘密を開示したり、退職時にデータをメールやUSBに転送して持ち去ったり、それを競合企業に漏洩したりといったケースは違法となります。また、競業避止義務契約が有効に成立しているにもかかわらず、競合退社に抵触したり、その後に前職の社員を勧誘したりする行為も違法です。
ただし、退職後の競業避止義務については、後述の通り、職業選択の自由による一定の制約があり、無制限の義務を負わせることは無効となる可能性があります。
不法行為に基づく損害賠償請求が認められる場合
上記の2つに該当しなくても、引き抜きが悪質だと、民法709条に定める「不法行為」に基づいて損害賠償請求が認められます。退職や転職は労働者の自由であるものの、選択権を奪うようなやり方、社会的に相当でない方法で勧誘、引き抜きをすることは違法となる可能性があります。
社会的相当性を逸脱する態様による引き抜きとして、違法性が認められるのは例えば次のケースです。
一斉かつ大量の引き抜き
一斉かつ大量に行われる引き抜き行為は、違法となる可能性があります。
例えば、従業員の大半を対象とする引き抜きは事業が立ち行かなくなるおそれがあり、会社の損失が甚大なので、労働者の退職の自由と比較しても会社を保護すべきと考えられるからです。裁判例でも、次のように判断したものがあります。
その勧誘の態様が会社の存立を危うくするような一斉かつ大量の従業員を対象とするものであり、あるいは、幹部従業員がその地位・影響力等を利用し、会社の業務行為に藉口してまたはこれに直接に関連して勧誘し、あるいは、会社の将来性といった本来不確実な事項についてこれを否定する断定的判断を示したり、会社の経営方針といった抽象的事項についてこれに否定的な評価をしたり、批判したりする等の言葉を弄するなど、その引抜行為が単なる転職の勧誘の域を超え、社会的相当性を逸脱した不公正な方法で行われた場合には、引抜行為を行った幹部従業員は雇用契約上の誠実義務に違反したものとして、債務不履行責任または不法行為責任を負うものというべきである。
東京コンピューターサービス株式会社事件(東京地裁平成8年12月27日判決)
業務上の影響力を利用した引き抜き
業務上の影響力を利用した引き抜き行為は、違法となる可能性があります。
役員や幹部社員は、社内の地位・役職によって他社員に影響力を有しています。この強い影響力を駆使して引き抜きをすると、他社員の自由な判断を阻害するおそれがあります。
会社における地位・役職による影響力を利用して行った引き抜きを違法とし、損害賠償請求を認めた裁判例に、ラクソン事件(東京地裁平成3年2月25日判決)があります。
英会話教室を経営するX会社の営業本部長が、会社の営業基盤である英会話教室の事業に従事する配下セールスマンらの移籍を内密に計画・準備し、これを実行するにあたり、Y競争会社が、企業間のセールスリクルート自粛を統一見解として明示する同業者団体に加入し、これを遵守しなければならない立場にありながら、右部長と接触し、内密に行われる集団的移籍の方法を協議し、移籍勧誘のための場所づくりに積極的に関与し、右本部長によってその場に連れ出されたセールスマンらにY会社の説明をするなど判示の事実関係のもとにおいては、Y会社は、引き抜き行為によってX会社が被った損害を賠償する責任がある。
ラクソン事件(東京地裁平成3年2月25日判決)
会社を誹謗中傷して行う引き抜き
会社を誹謗中傷するなど、不相当な行為による引き抜き行為も違法となります。
引き抜き行為が適法となるのは、対象者にも転職の自由があり、その判断を尊重すべきだからです。しかし、誤った情報を与えたり、会社を誹謗中傷したりすれば、自由な意思決定は阻害されるので、そのような引き抜き行為は許されません。
例えば、「業績が悪化していて倒産しそうだ」「社長に嫌われているから出世できない」「重要な取引先から契約を切られそうだ」など、不正確、不確実な情報で会社を誹謗中傷する引き抜きは、違法となる可能性が高いです。
引き抜き行為を予防するための事前対策

次に、引き抜き行為を未然に防ぐための有効な対策を解説します。
引き抜き行為のリスクを低減するには、企業としてあらかじめ対策を講じておくことが重要です。なお、在職中の引き抜きは雇用契約上の誠実義務違反として許されないので、以下では、主に退職した元社員による引き抜きを止める手立てについて解説します。
秘密保持義務・競業避止義務の誓約書を書かせる
元社員による引き抜きを止めるには、退職後も秘密保持義務を負うことを明記すると共に、退職後の競業避止義務について誓約書や覚書に署名押印させることが重要です。
秘密保持義務について
秘密保持義務について、秘密保持契約書(NDA)や誓約書に明記し、退職後も秘密保持を義務付けることが重要です。これにより、情報の流出や不正利用を防ぎ、引き抜きを止めることができます。秘密保持契約書や誓約書には、次の事項を記載しておきます。
- 秘密情報の定義
技術情報、顧客情報、営業データなど、秘密を守るべき情報を具体的に列挙します。 - 秘密保持義務の範囲
在職中だけでなく、退職後も義務が継続することを確認します。 - 義務違反時の罰則
秘密保持義務に違反した場合に、損害賠償請求をはじめとした法的措置を取ることを明記します。
競業避止義務について
競業避止義務とは、競合他社での就労、同種ないし類似の事業での起業などを禁止する条項です。これにより、退職者が引き抜きに加担するリスクを抑制できます。
ただ、労働者には職業選択の自由があり、退職後の競業避止義務を無制限に負うわけではありません。誓約書や覚書を締結しても、義務の範囲を限定したり代償措置を与えたりといった工夫がなければ、裁判で無効と判断される例もあるので注意してください。
効果的な競業避止義務条項の定め方は、次の通りです。
- 対象業種・職種を限定する
どの業種や職種への転職を禁止するのか、必要な範囲で明確に限定します。 - 地理的な範囲の限定
どの地域で競業が禁止されるかを定めます。自社の商圏を見極め、ライバルとなり得る範囲に限定して定めるのがポイントです。 - 期間の制限
競業避止義務が適用される期間(例:退職後2年間)を明記します。ビジネスや技術は陳腐化するため、一定程度の期間禁止すれば足りることが多いです。 - 代償措置の付与
退職後の競業避止義務を定める代わりに、その期間中の給与相当額を支給したり、退職金を加算したりといった代償措置を講じることで、裁判所に認めてもらいやすくなります。
競業避止義務条項は、過度に広範囲・長期間に及ぶものは無効とされ、裁判でも違法と判断されるリスクがあります。弁護士のアドバイスを受けながら慎重に作成しましょう。
就業規則に勧誘行為の禁止を明記する
就業規則でも、引き抜きや勧誘を禁止することを明記しておきます。
例えば、「在職中及び退職後の同僚に対する勧誘行為を禁止する」旨の条項を記載した上で、在職中については懲戒事由としておきます。懲戒処分は、企業秩序を乱す社員に対する制裁であり、就業規則に定めることで懲戒権を行使できます。懲戒処分には、重度の懲戒解雇、諭旨解雇から、中程度の出勤停止、降格、減給、軽度の譴責、戒告などの様々な処分がありますが、問題行為の程度に応じた処分を選択する必要があります。
退職後については懲戒処分はできないものの、退職後の一定期間、同僚への勧誘や接触を禁止する旨を記載しておくことは抑止力となります。また、引き抜き行為を行ったことを退職金の減額事由として定めておくこともできます。これにより、違反した場合には退職金を支給しない、もしくは、支給後であれば不当利得返還請求をするといったプレッシャーをかけることができます。
なお、就業規則は、社員に周知しなければ効力がありません。また、退職金の不支給規定が厳しすぎ、公序良俗違反(民法90条)と判断されると、無効となるおそれがあります。
退職時の面談で注意喚起する
退職後の引き抜きリスクを防ぐため、面談の場で法的な責任や義務を説明し、再確認させることが有効です。上記の通りの就業規則や誓約書を示して説明し、どのような行為が違反となるのか、違反するとどのような法的責任を追及されるのかを理解させます。
「会社の言葉」として説明するだけでなく、法的責任が認められた裁判例などを示すことも効果的です。社員が引き抜き行為の違法性を認識していないと、無意識のうちに会社にとってデメリットの大きい違反行為を犯すおそれがあるからです。
日常的な予防のためには、在職中から教育や研修を行うことも効果的です。特に、他社員の模範となるべき管理職や、引き抜きの対象となりやすい営業職などに対しては、個別の研修を実施しておくのもよいでしょう。
引き抜き行為を受けた企業側の対応

最後に、引き抜き行為を受けた際の企業側の対応について解説します。
引き抜き行為を受けた場合、迅速に対応し、すぐに食い止めなければなりません。不当な引き抜きを放置していると、更に人材流出が続き、業務に深刻な支障が生じるリスクが高まります。
内部調査で事実関係を把握する
最初に行うべきは、内部調査で事実関係を把握することです。
社員の引き抜きが行われていると発覚したとき、どの社員(または元社員)が関与しているか、裏に競合企業がいるのかなど、調査して明らかにする必要があります。調査の際は、信頼の置ける社員のみを呼び出し、「引き抜きや勧誘を受けたか」を聴取してください。
具体的な勧誘方法が判明したら、引き抜き行為の証拠となるメール、LINEやSNSのメッセージ、通話の録音などを収集します。あわせて、社内のPCやサーバのログ、機密情報へのアクセス記録などを調べ、重要な情報が不正に流出していないかをチェックしてください。
引き抜きをした元社員や競合企業に警告を発する
内部調査で引き抜きが明らかになったら、次に行うべきは、引き抜きに関与した元社員や競合企業に対して警告を発することです。具体的には、内容証明の方法で証拠に残しながら、「引き抜きを止めること」「法的措置を講じる意思があること」を伝えます。
弁護士名義の内容証明を利用すれば、裁判などの法的手続きで責任追及するという強い覚悟を示せると共に、いざ裁判になった際の証拠としても活用できます。
内容証明による警告書には、次の事項を記載しておいてください。
- 引き抜き行為が違法である理由(不正競争防止法違反、退職後の競業避止義務違反など)
- 調査で判明した引き抜き行為の事実経過
- 引き抜きを止めるよう要求する内容
- 損害賠償請求の意思表示
- 期限を定めた対応の要求(例:○日以内に回答しなければ法的手続きを講じる)
差止請求・損害賠償請求の訴訟を起こす
警告を発しても引き抜きが止まらないときは、法的手続きに移行します。具体的には、差止請求と損害賠償請求について、訴訟を提起します。
差止請求
差止請求は、引き抜き行為を停止させるため、裁判所に行う申立です。
引き抜きが不正競争防止法違反など、悪質な違法行為を伴う場合、裁判所に差止請求を認めてもらうことができます。現在まさに引き抜きが行われ、事業に大きな支障を及ぼしているなど緊急性のあるときは、仮処分を活用することも検討してください。仮処分は、急を要するケースで引き抜き行為を一時的に差し止めることのできる手続きです。
ただし、差止請求は、相手方となる労働者や競合企業にとっても大きな制限となるため、損害賠償請求にもまして十分な立証が求められる傾向にあります。
損害賠償請求
引き抜き行為によって会社が損害を負った場合は、損害賠償請求が可能です。
引き抜きに対する損害賠償請求は、不法行為(民法709条)や、労使間の合意による退職後の競業避止義務への違反を根拠とします。引き抜きによって自社に生じた売上減少、採用や教育にかかるコストなどの損害額を具体的に算出し、請求額を明示します。
ただし、引き抜き行為と損害の間に因果関係がなければならず、会社が負った損害の全てが認められるとは限りません。裁判例の多くは、損害額として引き抜き行為の対象となった社員の1〜3ヶ月程度の給与相当額を認めるに留まります。
なお、企業秘密の漏洩や、対応に特別のコストを要した場合など、特に高額な損害が生じたと主張するときは、十分な証拠を収集し、違法性、悪質性を強く主張しなければなりません。
「社員の引き抜きと損害賠償請求」の解説

交渉で解決できない場合、差止請求や損害賠償請求の法的措置を速やかに検討し、裁判に移行してください。事態が深刻化する前に弁護士に相談し、適切な対応策を取ることが企業の損害を最小限に抑えるためのポイントです。
まとめ

今回は、引き抜き行為の違法性と会社側の対策について解説しました。
引き抜き行為は、会社の利益を大きく損なう行為ですが、一方で、労働者には退職や職業選択の自由があります。そのため、引き抜き行為の全てが違法というわけではなく、退職後に厳しすぎる競業避止義務を課そうとしても、無効と判断されるおそれがあります。
しかし、悪質な勧誘が行われた場合は、不正競争防止法違反や不法行為として違法性が認められる可能性があります。企業としては、就業規則や雇用契約書でルールを整備すると共に、退職時には誓約書を交わすなどの対策が不可欠です。更に、違法な引き抜き行為が疑われるなら、損害賠償請求や差止請求といった法的措置を検討するべきです。
大切な人材を守り、健全な事業運営を継続するためにも、引き抜きリスクに対する備えを徹底し、早期に弁護士のアドバイスを受けるのがお勧めです。
- 引き抜き行為を禁止するため、事前に競業避止義務を負わせる
- 退職後の競業避止義務は法律上必ず負うわけではなく、誓約書が必要となる
- 悪質な引き抜き行為は違法であり、損害賠償や差止請求による責任追及が可能
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