ご相談予約をお待ちしております。

同業他社に転職した社員の退職金を不支給・減額する規定は違法?

社内の重要な秘密、ノウハウを守るために、「同業他社への転職はできるだけ制限したい」と考えるのではないでしょうか。しかし、労働者保護の観点から、退職後にどんな仕事をするかは自由なのが原則です。退職後の競業避止義務について、裁判例は制限的な考えを示しています。

「同業他社への転職を避ける」という目的を果たすため、退職後の競業避止義務を定めた誓約書にサインさせたり、退職金を増額したりといった方法が有効です。

それでもなお誓約書に違反して同業他社に転職されてしまうケースもあります。会社側(使用者側)の立場では、労働者の自由を制限するようなこれらの取り扱いをするとき、退職金規程に定めを置くなど、適切に運用しなければなりません。

今回は、同業他社に転職した社員の退職金を不支給・減額したり、支払い済みの退職金を返還請求したりできるかについて、人事労務にくわしい弁護士が解説します。

この解説でわかること
  • 同業他社への転職は自由だが、企業側としては、合理的な制限をすることができる
  • 同業他社へ転職しただけの理由で退職金を不支給にすることはできない
  • これまでの功労をなくしてしまう行為があったときは、退職金を不支給・減額できる
目次(クリックで移動)

解説の執筆者

弁護士 浅野英之

弁護士法人浅野総合法律事務所、代表弁護士。

弁護士(第一東京弁護士会所属、登録番号44844)。
東京大学法学部卒、東京大学法科大学院修了。

\相談ご予約受付中です/

同業他社への転職と、退職金の不支給・減額

ジャンプ

同業他社への転職は、原則自由

まず、会社側(使用者側)としては、企業秘密やノウハウの漏洩防止といった観点から、同業他社への転職を禁止したいところです。

同業他社への転職は、原則自由
同業他社への転職は、原則自由

地位・役職の高い社員ほど、重要な秘密に接しており、「同業他社には転職してほしくない」と希望するのは当然です。単なる労働力の流出だけでなく、顧客や取引先の情報、取引条件、製造方法やマニュアルなど、企業秘密が外部に漏れるおそれもあります。

しかし、憲法に「職業選択の自由」が保障されているため、退職後にどんな職につくか、原則として労働者の自由です。そして、このような自由があるため、同業他社だからという理由だけで、転職先を制限したり、不利益を課したりはできません。

合理的な制限であれば可能

ただし、憲法上の「職業選択の自由」といっても、他の利益などとの関係で一定の制限を受けます。そのため、労働者の不利益に配慮した合理的な制限であれば、同業他社への転職を一定程度は制限することができます。

裁判例(東京リーガルマインド事件:東京地裁平成7年10月16日決定)では、同業他社への転職の制限が合理的かどうかについて、次のような判断要素を挙げています。

  • 退職後に競業避止義務を課さなければ保護されないほどの正当な利益が使用者側に存在するかどうか
  • 競業禁止の期間、範囲、場所、職種などについて、必要かつ相当な範囲内であるかどうか
  • 競業禁止の範囲が、必要かつ最小限度であるかどうか
  • 労働者側の不利益を軽減するため、十分な代償措置をとっているかどうか

今回解説する退職金の不支給・減額をするときにも、それが労働者の職業選択の自由への大きな制約になることから、不支給・減額の必要性や目的と、労働者側の不利益を考慮して、合理的な処遇でなければ、違法、無効と判断されるおそれがあります。

合理的な制限かどうか
合理的な制限かどうか

「同業他社に転職されたくない」という会社側の必要性は十分に理解できるものではあるものの、労働者側の不利益を考慮して、合理的な範囲で行わなければならないということです。

同業他社に転職した社員の退職金を不支給・減額できるか

同業他社に転職した社員の退職金を不支給・減額できるかどうかは、会社側(使用者側)の必要性と労働者側の不利益とを考慮して、合理的な制限といえるかどうか、が重要だと解説しました。そして、合理的かどうかの判断は、次に解説する「退職金の性質」が大きく影響してきます。

退職金には、通常、「賃金の後払い的性格」と「功労報償的性格」の2つの性質があります。

  • 賃金の後払い的性格
    在職中の賃金の一部について、退職後に退職金として支払うこととし、長期勤続をうながす性格。この考え方によると、退職金は、在籍期間の要件を満たすかぎり、不支給・減額は難しいという結論になります。
  • 功労報償的性格
    退職金を支払うことによって社員の功労に対する報償を与えるという性格。この考え方によると、労働者の企業秩序違反など、問題行為によって功労が減じられたときには、不支給・減額が許されるという結論になります。

いずれか一方の性質のみということは少なく、多くの退職金は、この2つの性質を兼ね備えています。そして、退職金を不支給・減額できるかどうか(また、どのような理由で退職金を不支給・減額できるか)は、この2つの性質のいずれを重視するかによって結論が異なります。

「賃金の後払い的性格」を重視すると、退職金は、在職中に既に発生した賃金の一部の支払いを意味することとなります。そうすると、退職金の不支給・減額は、すでに発生している賃金を減額することとなり、賃金全額払いの原則などに反する不当な結果となってしまうため、不支給・減額は許されないという考え方になります。

また、労働基準法は、あらかじめ労使関係であらかじめ違約金や損害賠償額の予定をすることを禁止している(労働基準法16条)ので、「賃金の後払い的性格」の退職金を減らすことは、この点にも違反するおそれがあります。

これに対して、「功労報償的性格」を重視すると、退職金規程に基づいて、懲戒解雇事由など労働者に問題のある場合には、退職金の減額・不支給処分とすることが可能だと考えることができます。

同業他社に転職した社員の退職金不支給・減額を適法と判断した裁判例

裁判例

退職金に「功労報償的性格」があるのを考慮すれば、同業他社に転職した社員についての退職金の不支給・減額は、労働者の不利益に配慮した程度の金額であれば、有効だと判断される余地があります。

「賃金の後払い的な性格」のある退職金であれば、その全額をなくしてしまうと労働者の不利益が大きすぎるものの、競業避止について定めた就業規則や誓約書などに違反するとき、その「功労」は一定程度減じられると考えられるからです。

同業他社に転職した社員の退職金減額を適法と判断した最高裁判例に、三晃社事件(最高裁昭和52年8月9日判決)があります。この裁判例は、次のとおり、会社側による退職金減額処分を適法と判断しました。

X社がその退職金規則において、右制限に反して同業他社に就職した退職社員に支給すべき退職金につき、その点を考慮して、支給額を一般の自己都合による退職の場合の半額と定めることも、本件退職金が功労報償的性格を併せ有することにかんがえみれば、合理性のない措置であるとすることはできない。

すなわち、この場合の退職金の定めは、制限違反の就職をしたことにより勤務中の功労に対する評価が減殺されて、退職金の権利そのものが一般の自己都合による退職の場合の半額の程度においてしか発生しないこととする趣旨であると解すべきであるから、右の定めは、その退職金が労働基準法上の賃金にあたるとしても、所論の同法3条、16条、24条および民法90条等の規定にはなんら違反するものではない。

三晃社事件(最高裁昭和52年8月9日判決)

なお、以上のとおり退職金の不支給・減額が適法かつ有効と判断されるときでも、退職金の不支給・減額を行うためには、その根拠となる退職金規程の定めが存在することが必要です。

退職金の不支給・減額を定める退職金規程の合理性

はてな

同業他社に転職した社員の退職金を不支給・減額することが許されるケースでも、その根拠となる退職金規程の定めが必要となります。

そして、あらたに退職金規程に減額・不支給についての規定をおくときには、労働者にとって不利益変更にあたることから、このような規定を新設することが労働基準法に違反せず、有効かどうかを検討しなければなりません。

退職金規程とは

退職金請求権は、「法律上の」権利ではありません。つまり、基本給については最低賃金法により一定額以上を払わなければならず、残業代については労働基準法によって最低基準が定められるのに対し、退職金の支払義務を定めている法律はありません。

退職金請求権
退職金請求権

常時10人以上の労働者を使用する事業場では、就業規則を労働基準監督署に届け出る義務がありますが、退職金の定めは就業規則の「相対的必要的記載事項」とされ、就業規則に定めなければ効力が生じないものとされています。そのため、就業規則や退職金規程に定められていない限り、退職金を支払うことは必須ではありません。

なお、退職金の金額の計算方法、退職金の不支給・減額の基準など、退職金に関連するルールが複雑になる場合には、就業規則とは別に退職金規程として詳しく定めることが一般的です。

退職金の不支給・減額規定の定め方

前章で解説したとおり、退職金には「功労報償的性格」があるため、会社に損失があるような一定の要件を満たす場合に退職金を減額することは合理的であると判断されます。

同業他社への転職をしたときに退職金を減額することを定めるとき、裁判において有効と認められやすくするためには、禁止・制限される行為の範囲を、できるだけ具体的に特定するのが重要なポイントです。あわせて、従業員の引き抜きなど、禁止スべき行為についても退職金の減額事由として定めておきます。

ただし、同業他社への転職を禁止したいという企業側の意図はよく理解できますが、同業他社へ転職したら退職金の全額を支給しないとする退職金の不支給規定は、退職金に「賃金の後払い的な性格」があることを考慮すると、違法となる可能性が高いといえます。

特に、在職中に蓄積したポイントをもとに一定の乗率を積算して算出する「ポイント制退職金」など、賃金の後払い的な性格が強いと考えられる退職金の場合、減額できる割合はその分だけ少なくなると考えるべきです。

退職金規程の不利益変更の合理性

既に存在する退職金規程を変更するときは、労働者側にとって不利益な変更をする場合には、その不利益変更について合理性がない限り、変更は違法、無効となります。

不利益変更が合理的かどうかは、次の事情を総合考慮して判断されます。

  • 退職金規程の不利益変更により、労働者側の被る不利益の程度
  • 会社側の不利益変更の必要性の内容、程度
  • 不利益変更後の退職金規程の内容自体の相当性
  • 代償措置、その他の関連する他の労働条件の改善状況
  • 過半数労働組合または過半数代表との交渉の経緯
  • 不利益変更内容についての同業他社の状況

退職金規程の不利益変更が合理性を有する場合で、変更により減額・不支給規定を定めることができたときでも、変更前に退職をした社員には、変更後の規定は適用できません。変更前に退職した社員は、変更後の減額・不支給規定については、労働契約の内容とはならないからです。

特に、退職金をはじめとした賃金は、労働者の生活の糧となる重要な権利であり、その不利益変更にはより高度の合理性が必要です。このことは、最高裁判例(大曲市農業協同組合事件:最高裁昭和63年2月15日判決)でも示されています。

特に、賃金、退職金など労働者にとって重要な権利、労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成又は変更については、当該条項がそのような不利益を労働者に法的に受任させることを許容できるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合において、その効力を生ずるものというべきである。

大曲市農業協同組合事件(最高裁昭和63年2月15日判決)

同業他社への転職の、その他の法律問題

最後に、退職した社員が同業他社に転職するときに生じうる、その他の法律問題について解説します。

守秘義務

退職後の競業避止義務が、労働者側の不利益が大きいことから制限されるのに対して、守秘義務については、労働契約に付随する義務として当然に負うものです。そのため、就業規則、労働契約書(雇用契約書)などに特に定めなくても、労働者は、企業秘密やノウハウなどについての守秘義務を負いますが、念のため、退職時の誓約書でも、守秘義務を負うことを確認的に定めておくのが有効です。

競業避止義務と守秘義務
競業避止義務と守秘義務

なお、不正競争防止法の「営業秘密」にあたるときは、同法によって会社の利益が保護されており、違反するときには差止請求(不正競争防止法3条)、損害賠償請求(同4条)、信用回復措置請求(同14条)などの請求ができるほか、営業秘密の侵害については10年以下の懲役又は2000万円以下の罰金の刑が科されます(同21条1項、3項)。

不正競争防止法の「営業秘密」として保護されるためには、秘密として管理され(秘密管理性)、事業活動に有用であり(有用性)、公然と知られていない(非公知性)という要件を満たす必要があります(同2条5項)。

社員の引き抜き

退職して同業他社に転職した社員が、元の会社の社員の引き抜きをすることがあります。

社員の引き抜きは、それだけで違法となるわけではなく、単なる転職の勧誘といった程度であれば、会社としてこれを禁止したり不利益な処遇としたりすることはできません。

これに対して、一斉に大量の社員を引き抜いて会社に大きな損害を与えるなど、社会的相当性を逸脱する背信的方法で行われるケースに限って違法性を認めるのが裁判所の実務です(東京地裁平成3年2月25日判決など)。

まとめ

今回は、退職した社員が同業他社に転職してしまったとき、競業避止義務違反を理由として退職金を不支給・減額とすることの適法性について弁護士が解説しました。

企業経営において、企業秘密の流出、ノウハウの流出を回避するため、退職後の競業を禁止したいのは当然です。しかし、退職後の競業避止は、労働者の自由とも矛盾し、制限されるため、労働者側の不利益が大きすぎる処遇は、違法・無効と判断されてしまいます。

退職金の不支給・減額を交渉材料として、企業利益を維持しようとするときは、適法かつ妥当な内容の退職金規程をあらかじめ作成しておくという準備が必要です。

当事務所のサポート

弁護士法人浅野総合法律事務所

弁護士法人浅野総合法律事務所では、企業の労働問題や人事労務について、注力してサポートしています。

社員の退職のタイミングは、労働問題が特に起こりやすいです。お悩みの方は、ぜひ一度ご相談ください。

人事労務のよくある質問

同業他社への転職を制限できますか?

同業他社への転職は、企業秘密の漏洩などのリスクがある一方、労働者の自由を侵害するため原則として自由です。そのため、企業側で行うことのできる制限は、合理的な範囲にとどまります。もっと詳しく知りたい方は「同業他社への転職と、退職金の不支給・減額」をご覧ください。

同業他社に転職した社員の退職金を不支給・減額するための準備は、どのようなものですか?

同業他社に転職した社員の退職金を不支給・減額するとき、合理的な範囲にとどまるよう配慮しなければなりませんが、このとき、根拠となる退職金規程などの定めが必要となります。退職金のルールについては、企業側であらかじめ準備しておかなければなりません。詳しくは「退職金の不支給・減額を定める退職金規程の合理性」をご覧ください。

目次(クリックで移動)
閉じる