2020年4月1日施行の改正民法では、意思能力の瑕疵(錯誤)についての重要な改正が行われました。
民法の債権法部分の改正が注目されていますが、「意思能力」は、契約をするかどうか、どんな内容の契約をするか、という前提問題に関わる重要な問題であり、特に「錯誤」は、企業間の契約にまつわるトラブルでも、よく論点となります。
具体的な改正点としては、意思能力について新しい規定が定められるとともに、錯誤について、これまで判例法理で確立されていた重要な論点が、民法上にも明文化されました。
今回は、意思能力の瑕疵についての基本的な考え方と、錯誤のルールについて、民法改正(債権法改正)を踏まえ、企業法務にくわしい弁護士が解説します。
意思能力とは?
「意思能力」とは、自己の行為の法的な結果を、認識・判断することができる能力のことをいいます。
意思能力がないということは、「意思表示をすることによって、どんな効果が自分に帰属するのか」を理解できないということを意味します。そのため、意思能力がなければ、意思表示を有効に行うことはできません。
例えば、幼児や、重度の認知症の方などは、意思能力がないと判断される典型例です。
ただし、認知症を理由とする意思能力の不存在については、症状の重さなどによってケースバイケースの判断が必要です。そのため、「認知症」という診断を受けたからといって、一律に意思能力を失うわけではありません。あくまでも「この人は、意思能力を失っているのかどうか」という個別の判断が必要となります。
意思能力についての民法改正のポイント
さきほど解説した「意思能力」が存在しない人が行った法律行為は、「無効」となるというルールは、裁判例や実務で広く認められています。
自分に、どんな効果が生じるのかもわからない人の法律行為は、有効としてその責任をとらせるのは不都合だからです。しかし、このルールについて、従前は、民法上の規定が特にありませんでした。
これまで裁判例や実務においては当然のこととされていたルールについて、わかりやすく周知するため、民法改正において明文化されました。このような経緯で、この度の改正では、意思能力に関する規定が、民法に創設されることになりました。
意思能力についての改正内容
改正前の民法には、意思能力に関する規定はありません。
国民にわかりやすい民法を実現するため、2020年4月より施行された改正民法では、意思能力について「法律行為の当事者が意思表示をした時に意思能力を有しなかったときは、その法律行為は、無効とする。」(民法3条の2)と定められました。
改正民法の意思能力の規定のポイントは、「意思表示をした時点を基準とすること」と「意思能力のない行為が無効となること」の2点です。
このルールは、従来あった裁判例におけるルールと同様であり、意思能力がないことを理由とする無効を主張できるのは、「意思無能力者側」からのみとされています。このことを「相対的無効」といいます。
意思能力の判断要素
意思能力の有無は、本人の客観的な判断能力のみで決まるのではなく、対象とされる意思表示の性質なども合わせ、総合的に考慮して判断されます。
例えば、「高額の不動産を売却する」という重要な意思表示と、「スーパーで牛肉を買う」という先ほどの例に比べれば重要性の低い意思表示では、おのずと、必要とされる判断能力の程度は異なるのが当然です。
ただし、一般的に、7歳程度の幼児や泥酔者などには意思能力がないと考えられています。また、「遺言」という特殊な意思表示については、遺言能力を15歳以上にしか認めない民法の規定が、改正後も維持されます。
重度の認知症や精神病を患っていることは、外見から判断できないケースもあるため、当該法律行為時に正しく自己行為の意味などを認識できていたかどうかは、鑑定結果なども踏まえて、裁判上主要な争点となることが多いです。
意思能力判断の実務上のポイント
超高齢化社会に突入している日本においては、今後、意思能力の有無が争われる機会が増加することが予想されますので、以下の点には注意が必要です。
アルツハイマー型認知症の場合、進行の程度が中程度で意思能力がないと判断されるケースが多いため、診断書等を取得することは重要です。その他の証拠を収集する際には、問題となっている法律行為時における症状の進行具合等を証明できる証拠を優先的に集めるのが大切です。
また、意思能力の判断は一律に判断しづらいため、過去の判例や施行後の判例・裁判例の動向に注目する必要があります。
契約実務における対策としては、未成年や高齢者など、一般消費者を相手に契約を結ぶ場合には、相手方に意思能力があるか否かの確認が重要ですし、意思能力の有無が疑われる場合、通常は法定代理人がいますから、そちらと契約を結ぶことも検討すべきです。
経過措置
改正民法の規定は、改正法施行前にされた意思表示については、適用されません(改正民法附則2条)。
したがって、2020年4月1日以降に行われた意思表示のおいてのみ、民法の規定が適用されます。ただし、施行前であっても、同様の裁判例における法理があるため、結論的には同じとなります。
錯誤についての民法改正のポイント
錯誤とは、内心と表示の不一致をいいます。
例えば、「売主が目的物を1万ポンドで売るつもりで、売買契約書にうっかりと、1万ドルで売ると書いてしまった場合」が、錯誤の例です。
改正前の民法では、「意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする」と規定されていました。
「法律行為の要素」の錯誤に当たるためには、次の要件を満たす必要があることが、裁判例で明らかにされています。
- 表意者につき錯誤がなければその意思を表示しなかったであろうと認められること(主観的因果関係)
- 通常人であっても、錯誤がなければその意思表示をしなかったであろうと認められること(客観的重要性)
- 動機が意思表示の内容として表示されていること(動機の錯誤がある場合)
錯誤についての改正内容①「判例法理の明文化」
先ほど解説しました「法律行為の要素」の錯誤に当たるための要件について、これまで裁判例で示されてきた基準が、民法改正によって、条文に明文化されます。
明文化された改正民法の条文内容、条文番号は、次の通りです。
- 主観的因果関係
「意思表示は、次に掲げる錯誤に基づくもの」(民法95条1項柱書) - 客観的重要性
「その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なもの」(民法95条1項柱書) - 動機の錯誤
「表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤」「その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたとき」(民法95条2項)
なお、表意者に重過失があった場合、相手方が悪意または重過失がある場合や共通の錯誤に陥っていた場合を除いて取り消すことができません(改正民法95条3項1号、2号)。
錯誤についての改正内容②「錯誤の効果」
改正前の民法においては、「法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする」とされていました。
これに対して、2020年4月に施行された改正民法では「取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは、取り消すことができる。」として錯誤の効果を「無効」から「取消」に変更しています(民法95条1項柱書)。
つまり、従来は意思能力について瑕疵がある場合の効果について、詐欺、強迫を理由とする場合には「取消」、錯誤を理由とする場合には「無効」とされていましたが、今後は、すべて「取消」に統一されることとなりました。
改正前 | 改正後 | |
---|---|---|
錯誤 | 無効 | 取消可能 |
詐欺 | 取消可能 | 取消可能 |
強迫 | 取消可能 | 取消可能 |
意思無能力 | 無効 | 無効 |
取消権者に関する規定等が適用されることになりましたので、取消しができるのは、本人かその法定代理人、相続人などに限定される点には注意が必要です(民法120条2項)。また、錯誤の効果が「無効」から「取消」に変更されたことによって、追認に関する規定も適用されることになります
そのため、たとえ意思表示に錯誤があっても、追認をすれば以後取消しはできなくなります。ただし、取消原因となっていた状況が消滅し、かつ、②取消権を有することを知った後にしなければ追認の効力が生じない点には注意が必要です。
錯誤についての改正内容③「第三者との関係」
上記のように改正民法は錯誤の効果を取消しとしたこととの関係で、第三者保護との関係が問題となります。
改正民法では「第1項の規定による意思表示の取消しは、善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない」として、第三者の保護を図っています(改正民法95条4項)。
「善意でかつ過失がない」とは相手方が、表意者が錯誤に陥っていることを知らず、知らなかったことについて過失がないことをいいます。
経過措置
施行日前にされた意思表示には改正民法の適用はなく、改正前の民法が適用されます(改正民法附則6条1項)。
したがって、2020年4月1日以降になされた意思表示について、改正民法が適用されます。
判例法理を、民法の条文に明文化した部分については、施行日前後によって結論が異なることはありませんが、錯誤の効果が「無効」から「取消」となった部分については、実務上大きな影響があります。
まとめ
意思能力についての法律問題は、超高齢化社会がさらに進むにつれて、増加していくと予想されています。そのため、今後、解釈・運用が進んでいくと思われます。
錯誤についても無効から取消しになったことにより、追認や時効に関する問題等が生じることが想定されています。
民法改正によってルール変更がありましたが、改正法の施行後も、裁判例の動向に注目していかなければなりません。
当事務所のサポート
弁護士法人浅野総合法律事務所では、企業法務に精通しており、民法改正についても多数の相談をいただいています。
改正法への対応は、法律や裁判例についての、専門的かつ経験が求められる分野です。改正民法に対応する契約書の作成を含め、お悩みの方は、ぜひ一度弁護士にご相談ください。