社員の引き抜き行為をされてしまうと、せっかく手塩にかけて育ててきた有能な人材をとられてしまうだけでなく、企業秘密やノウハウ、顧客まで一緒に奪われてしまうおそれがあります。
同業他社やライバル企業、さらには、自社をやめた元社員から、社員の引き抜き行為をされてしまったとき、会社が負った損害について、損害賠償請求によって被害回復を図る必要があります。
しかし、退職する社員にも職業選択の自由があるため、損害賠償請求の対象となるような違法な引き抜きといえるためには、引き抜き行為が社会的に相当性を欠くような、悪質な態様であることが必要となります。そのため、損害賠償請求するときには、引き抜き行為の悪質性を、証拠により立証する準備をしなければなりません。
今回は、損害賠償請求できるような違法な引き抜き行為の例と、その際の損害賠償請求の方法について、人事労務にくわしい弁護士が解説します。
- 引き抜き行為が社会通念上の相当性を逸脱するとき、損害賠償請求できる
- 違法な引き抜き行為は、在職中の社員だけでなく、退職後の社員や役員、ライバル企業によって行われる
- 違法な引き抜き行為によって負った損害は、請求する側の会社が証明しなければならない
損害賠償請求ができる違法な引き抜き行為とは
円満退社と思ったら、実は一緒にやめた社員と同業の会社を起こしていたとか、一度にやめた複数人の社員が、隣のライバル企業に移ってしまったのが判明したなど、引き抜きについての法律相談は多く寄せられています。人材の流動性が高いベンチャー企業、個々の能力に依存する部分の大きいIT企業などで、社員の引き抜き合い、ヘッドハンティングはよく起こります。
他社の社員を引き抜いたり、自社に転職するように勧誘したりする行為は、法律上禁止されているわけではありません。引き抜き行為の犠牲になってしまうと許しがたいことでしょうが、かならずしもすべてのケースが違法とはいいがたいのです。
引き抜き行為が必ずしも違法ではないのは、引き抜きの対象となる労働者にも、憲法上、職業選択の自由が認められているからです。引き抜きの対象となる労働者にとって、引き抜きを受け入れれば、有能な人材として活躍の場が与えられたり、現在よりも好条件で雇用してもらえたりすることが期待できます。
しかし、引き抜きの対象者に職業選択の自由があるといっても、その判断を誤らせたり、不当かつ悪質な手を使ったりして引き抜きをするケースでは、その引き抜き行為をした者(同僚、元社員、ライバル企業など)は、違法行為を行ったこととなり、損害賠償請求できることとなります。
引き抜き行為が違法とされる判断基準
引き抜き行為が違法とされるための基準は、「社会的相当性を逸脱しているかどうか」という点によって判断されています。社会的相当性を欠く場合には、裁判例においても引き抜き行為が違法とされ、損害賠償請求が認められています。
わかりやすくいうと、常識的な方法ではなく、悪質な方法によって会社が大きな損害を負うような場合には、違法性が認められ、損害賠償請求できるということです。
社会的相当性を逸脱しているかどうかについて、裁判例では次のような考慮要素が重視されています。
- 引き抜かれた社員の地位・役職
重要な地位・役職にある社員を引き抜くほど、会社への影響が大きく、違法性が認められやすい - 引き抜き行為を行った者の、会社内での役割・地位
重大な役割・地位にあり、その影響力を利用して引き抜き行為したとき、違法性が認められやすい - 引き抜き行為の対象となった社員の人数
引き抜かれた社員数が多いほど、会社に重大な損害を与えるため、違法性が認められやすい - 引き抜き行為が行われた方法・態様
計画的に行われたかどうか、会社に対する誹謗中傷、名誉毀損といった悪質な行為をともなうかどうかなどが、違法性の程度に影響する
引き抜き行為を違法と認めた裁判例
引き抜き行為について、社会的相当性を逸脱しているかどうかによって判断することを理解していただいた上で、次に、実際に引き抜き行為を違法と認めた裁判例にどのようなものがあるかについて解説していきます。
東京地裁平成3年2月25日判決 | 英会話教材販売、英会話学校経営を行う会社のセールスマンを、退任後の元取締役が引き抜きをしたことについて、退職すると重大な影響が及ぶことを知りながら、セールスマンをまとめてホテルへ連れ出して移籍を説得したなどの背信的態様を指摘し、単なる転職の勧誘を超えているとして、不法行為による損害賠償請求を認めた。 |
大阪地裁平成14年9月11日判決 | 派遣業者の派遣スタッフの引き抜きについて、業務運営に支障が出ることを知っていたにもかかわらず、突然退職届を出して引き継ぎを行わず、派遣スタッフに嘘の情報を伝えたり金銭を与えたりして勧誘したなどの計画性、悪質性から、不法行為による損害賠償請求を認めた。あわせて、共謀した他社の責任も認めた。 |
違法な引き抜き行為で損害賠償ができるケースと、請求の相手方
違法な引き抜き行為が行われたとき、「誰に対して」損害賠償請求できるのか、言い換えると、違法な引き抜き行為の責任を、誰を相手方として追及できるのかについて、弁護士が解説します。
違法な引き抜き行為は、次のようなさまざまな人物を主体におこなわれるため、個別の事情に応じて、「誰に損害賠償請求をするのか」を会社側(使用者側)で判断しなければなりません。また、適切な相手方を選択しなければ、たとえ引き抜き行為が違法でも、損害賠償請求が認められないおそれもあります。
在職中の社員による引き抜き
在職中の社員が、他の社員を誘って一緒に退職して同業他社へ転職、という引き抜きケースがあります。
このような在職中の社員の行為は、単なる転職の勧誘にとどまるかぎり、違法な引き抜き行為とはならず、損害賠償請求の対象とはなりません。勧誘を受けた社員にも職業選択の自由がありますので、退職の相談、転職の勧誘程度であれば、社会的相当性を逸脱しているとまではいえないからです。
しかし一方で、在職中の社員は、会社に対して誠実義務を負っており、会社に損害を負わせるような行為をしてはならないこととなっています。そのため、単なる転職の勧誘を超えて、社会的相当性を逸脱するような違法な引き抜き行為を行ったとき、在職中の社員を相手として損害賠償請求できます。
なお、在職中の社員に対する損害賠償請求は、不法行為(民法709条)を理由として行う場合のほか、労使間の契約関係が存在するため、労働契約上負う誠実義務違反として、債務不履行を理由に損害賠償請求することもできます。
退職後の元社員による引き抜き
在職中の社員に対して損害賠償請求するケースと比べて、退職後の元社員に対して損害賠償請求するときには、すでに労使間の契約関係がなくなっていますから、労働契約によって負う誠実義務違反を理由とすることはできません。
退職後の元社員による引き抜きのケースでは、その態様が背信的な悪質行為であるなど、社会的相当性を逸脱する違法行為であるとき、不法行為(民法709条)を理由として損害賠償請求をすることができます。
たとえ退職後であっても、一斉かつ大量の引き抜き行為、会社に対する誹謗中傷を加えることによる引き抜き行為などは、社会的相当性を逸脱するものであり、損害賠償請求の対象となります。
在任中の取締役による引き抜き
取締役に就任する人は、優秀な可能性が高く、将来の独立を目指すことも少なくありません。人脈、人望を兼ね備えて、社員を勧誘すれば引き抜きが容易なことも多いため、取締役による引き抜きトラブルはしばしば問題となります。
取締役は、その在任期間中、会社の利益と相反する行為をしてはならず、法令及び定款、株主総会の決議を遵守し、忠実に職務を遂行すべき義務を負います。これにより、自己の利益を優先して会社を害することは禁じられています。この取締役の義務を、善管注意義務(会社法330条、民法644条)、忠実義務(会社法355条)といいます。これらは、会社法に定められた法律上の義務です。
社員を引き抜き、他社へ転職させたり独立後に雇用したりする行為は、会社の利益に反することが明らかで、忠実義務違反の可能性が高い行為です。在任中の取締役は、社員にもまして会社のために行動しなければなりませんから、引き抜き行為について善管注意義務及び忠実義務違反の責任を負い、損害賠償請求の対象とすることができます。
ただし、個別のケースにおいて忠実義務違反となるかどうかは、会社の規模、取締役の選任から退任までの経緯、取締役と引き抜き対象となった社員の関係性などの事情により、社会的相当性を逸脱するほどの違法性があるかどうかによって判断されます。
退任後の取締役による引き抜き
退任後の取締役は、在任中の取締役とは異なり、会社法に定められた善管注意義務、忠実義務は負いません。そのため、退職した元社員などと同様に、引き抜き行為が悪質で、社会的相当性を逸脱していると評価できる場合に限り、損害賠償請求の相手方とすることができます。
ただし、一般的に、取締役の地位にあるような者は、会社内で重要なポジションにあり、重大な機密を知る可能性が高いと考えられますから、退任時には、競業避止義務、守秘義務を含む合意書、誓約書などを交わすことが多くあります。
このような取締役退任時にかわした合意書、誓約書に、引き抜き行為の禁止が定められているときには、これらの書面に違反して行った引き抜き行為について、厳しく損害賠償請求の対象としていくことができます。
同業他社による引き抜き
同業他社が引き抜き行為をしたとき、労使間のような契約関係がまったくない中で行われるものであるため、その違法性についての責任追及は、不法行為(民法709条)を理由とする損害賠償請求によって行います。優秀な人材が争奪戦となるのは当然で、ヘッドハンティング、リクルーティングは常ですが、その程度が社会的相当性を逸脱するような違法な引き抜きに達しているときは、同業他社に対する損害賠償請求が可能です。
また、同業他社ないしライバル企業が、明らかに表立って引き抜きをするケースだけでなく、社員や役員、元社員や元役員など、上記で解説してきた関係者を手足として使って、裏から引き抜きを画策していたケースもあります。
裏で示し合わせて協力して違法な引き抜き行為をしていたときには、その引き抜き行為を表立って行った社員や元社員とともに、共謀したり唆したりした同業他社に対しても、不法行為を理由に損害賠償請求することができます。協力して会社を害する行為をすると、民法に定める「共同不法行為」の責任を負うからです(民法719条)。
引き抜かれた社員に対する損害賠償請求
引き抜かれた社員に対する損害賠償請求は、原則としてできません。会社を退職したり、退職後に同業他社に転職したりすることは、憲法によって認められた職業選択の自由によって保障されています。そのため、たとえ引き抜き行為が悪質で、違法なのが明らかだったとしても、その責任は違法な引き抜きをした者に対して追及すべきであり、引き抜きの対象となった社員に追及すべきものではありません。
ただし、例外的に、次のように引き抜き行為以外にも違法行為が存在するケースでは、引き抜かれた社員に損害賠償請求できる可能性があります。
- 適法かつ合理的な競業避止義務を負っているにもかかわらず、競業避止義務違反となる転職をしたとき
- 不正競争防止法上の「営業秘密」を侵害したとき
- 違法な引き抜き行為の共同不法行為者にあたるとき
なお、退職後の競業避止義務については、原則として労働者は義務を負うことはなく、例外的に、誓約書などで特約を結んだ場合にのみ負うこととされています。競業避止義務の特約が有効と判断されるためには、制限の期間、場所的制限、業種の制限、代替措置などの事情を考慮して、合理的なものであることが必要です。
違法な引き抜き行為に対し、請求すべき損害額はいくらか
違法な引き抜き行為を受けてしまったとき、会社の損害は計り知れません。重要な中核的社員が引き抜かれてしまうと、会社の業務が回らず、存続の危機に瀕してしまうおそれもあります。
しかし、違法な引き抜きを理由に損害賠償請求するとき、その損害額は、請求する会社側で、立証しなければなりません。このとき、どんな損害が認められるか、そして、その損害がどう立証するかという点には大きなハードルがあります。
違法な引き抜き行為を受けたとき、損害賠償請求の対象とすべき損害には、次のものがあります。
- 違法な引き抜き行為を理由に、減少した売上相当額
- 違法な引き抜き行為で奪われた優良顧客からあがるはずであった売上相当額
- 違法な引き抜き行為の対象となった社員が将来稼いだであろう逸失利益
- 違法な引き抜き行為の対象となった社員の採用・教育コスト
- 違法な引き抜き行為の後、代替の人材を確保するためにかかった求人コスト
ただし、いずれも、損害賠償請求をするためには、違法な引き抜き行為と損害の間に因果関係があることを立証しなければなりません。たとえ引き抜き後に会社の売上が減少したとしても、それは引き抜き行為が原因なのではなく、不況や他のライバルの出現など、さまざまな要因があるという反論を受けることとなります。
裁判例で、違法な引き抜き行為との相当因果関係があると認められ、損害賠償請求が認められた損害の例には、次のものがあります。
東京地裁平成3年2月25日判決 | 引き抜き行為の直後に売上高、粗利益が大きく落ち込んだことから、少なくとも挙げられたであろう利益との差額1740万円から、扶養となった人件費などを控除した金額を損害として認めた。 |
大阪地裁平成14年9月11日判決 | 派遣業者の派遣スタッフの引き抜きについて、引き抜きがなくても退職した可能性があるため、得られなくなった派遣料を長期間にわたって損害とすることはできないが、得られたであろう4ヶ月分の粗利額628万円余を損害として認めた。 |
違法な引き抜き行為に対し、損害賠償請求する方法
最後に、違法な引き抜き行為に対して、損害賠償請求する具体的な方法について弁護士が解説します。
証拠収集を行う
違法な引き抜き行為の被害を受けていることが発覚したら、まずは証拠収集を行うようにしてください。
引き抜き行為は、こっそりと行われることがほとんどのため、違法行為の存在についてしっかり証明できるだけの証拠をあらかじめ準備しておかなければなりません。あわせて、損害と違法行為との因果関係についても、立証の準備が必要です。
内容証明で損害賠償請求する
違法な引き抜き行為が存在することと、これに対する責任追及として損害賠償請求をすることを、請求の対象者に向けて、内容証明の方法で通知します。
内容証明は、その配達日と通知内容が郵便局に記録化され、証拠を残すことができます。
また、特別な形式で通知書を送ることで、相手の違法性を強く責め、これ以上の違法行為をけん制する意味合いもあります。
損害賠償請求訴訟
最後に、話し合いによって解決できないときには、損害賠償請求訴訟を起こすことにより、違法な引き抜き行為の責任を追及することとなります。
労使間の契約関係が存在する、社員による引き抜き行為のときには、労働契約(雇用契約)上の誠実義務違反により、債務不履行を理由として損害賠償請求をすることができます。これに対し、契約関係の存在しない、元社員、元役員、同業他社やライバル企業などに対する請求は、不法行為(民法709条)を理由として行います。
まとめ
今回は、違法な引き抜き行為の被害を受けてしまったときに、事後的な被害回復として行っておくべき損害賠償請求について詳しく解説しました。違法な引き抜きを受けると、優秀な人材を失う上、企業秘密が流出したり、その人材が囲っていた優良顧客を奪われたりなど、会社は大きな損害を負います。
少しでも、引き抜き行為によって受けた損害を回復するためにも、損害賠償請求を成功させたいのであれば、引き抜き行為の違法性、悪質性を十分に立証できるよう、事前の準備が欠かせません。
当事務所のサポート
弁護士法人浅野総合法律事務所では、人事労務に注力しており、違法な引き抜きの問題についても数多く取り扱っています。
一方で「違法な引き抜き行為かどうか」は、社会的相当性を逸脱するかについて多くの事情を総合考慮して判断するのが裁判例の実務であるため、悪質と思われる引き抜き行為を受けたとき、損害賠償による被害回復が可能かどうか、法律の専門的判断が必要となります。
人事労務のよくある質問
- 引き抜き行為で損害賠償請求できるのは、どんなケースですか?
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引き抜き行為は、在職中の社員によって行われるケースだけでなく、退職後の社員、役員、ライバル企業が行うケースもあります。いずれも、社会的相当性を逸脱するような悪質な態様で行われるときには、損害賠償を請求できます。もっと詳しく知りたい方は「違法な引き抜き行為で損害賠償ができるケースと、請求の相手方」をご覧ください。
- 引き抜き行為で請求できる損害額はいくらですか?
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引き抜き行為で請求できる損害額は、その違法な引き抜き行為によって会社が実際に負った損害です。損害額は、請求する会社側で立証しなければならず、証拠の準備が欠かせません。具体的には、減少した売上相当分や、採用にかかったコストなどが損害として考えられます。詳しくは「違法な引き抜き行為に対し、請求すべき損害額はいくらか」をご覧ください。