残業代を請求され、未払い残業代を一部は払わざるをえなくなったとき、会社側にとって重要なのが合意書の作成です。
残業代を払うことは会社の義務です(労働基準法37条)。残業させたにもかかわらず適切な残業代を払わないと、社員(もしくは元社員)から残業代請求されてしまいます。突如、社員(もしくは元社員)、弁護士から残業代請求の通知書を受けとったとき、対応に迷うかもしれません。しかし、平時から残業管理をきちんとしていないと、残念ながら、一定の残業代を清算せざるをえません。
在宅勤務、リモートワークといったオフィス外の労働など、働き方が多様化するにつれ、会社側ではきちんと払っているつもりが、法的には残業代が未払いになってしまっているおそれがあり、注意が必要です。
今回は、残業代トラブルをリスクなく終わらせるため、締結すべき合意書について、人事労務に詳しい弁護士が解説します。
- 社員から残業代を請求されてしまったとき、事前の労務管理を徹底しているかがポイントとなる
- 未払い残業代を払わなければならなくなったとき、支払う前にかならず合意書を締結する
- 将来のリスクを減らすため、「解決金」名目で支払い、守秘義務条項・清算条項をかならず付ける
残業代トラブルと、社員との合意・和解について
労働基準法に定められた労働時間規制では、次のそれぞれの時間に応じた残業代を払うことが会社の義務とされています(労働基準法37条)。
- 時間外労働
「1日8時間、1週40時間」の法定労働時間を超える残業について、25%の割増率をかけた時間外割増賃金
(月60時間を超える残業については、50%の割増率) - 休日労働
「1週1日もしくは4週4日」の法定休日の労働について、35%の割増率をかけた休日割増賃金深夜労働 - 深夜労働
「午後10時〜午前5時」までの労働について、25%をかけた深夜割増賃金
残業代トラブルになってしまうケースでは、残業についての労使の認識が大きく異なっていることが少なくありません。
会社側として「残業は許していない」、「固定払いで事前に払っている」と反論しようと考えているケースが多いですが、これらの反論はいずれも、厳しい要件があります。事前にしっかりと準備していないかぎり、裁判では到底認められません。また、残業代の計算方法は複雑で、会社が正しく計算できていないケースもあります。
労働者側が弁護士に相談し、法律にしたがって計算してみたら未払いがあったというとき、労働審判、訴訟などの法的手続きで残業代請求されてしまいます。このとき、タイムカードなど会社が管理している証拠上は残業がなくても、労働者側は細かい証拠をかき集め、思いも寄らない金額の残業代を請求されてしまいます。
なお、平時からしっかりと準備し、未払い残業代を発生させないために、正しい残業代についての考え方について、次の解説も参考にしてください。
未払い残業代について社員と合意するときの注意点【会社側】
次に、労働者側から未払い残業代の請求を受けてしまった会社が、労働者側と合意するときに注意したいポイントについて解説します。
社員からの通知書を無視しない
残業代の請求は、はじめは社員(もしくは元社員)、弁護士からの通知書が内容証明で送られてきてスタートします。
残業代の請求が起こってしまうというのは、労使間で、事実の認識、法律の理解に大きな差があることを意味します。顧問弁護士のチェックを受けるなど事前対策をしていないと、残念ながら、一定の支払いを覚悟せざるをえないケースも多いです。
会社に法令違反のおそれがあるときには、社員からの通知書を無視してはいけません。無視することで、労働審判・訴訟などに発展し、さらに残業代が高額化したり、他の社員に波及して全社的な問題となってしまったりするリスクがあるからです。
「きちんと残業代は払ったはずだ」と考えるときも、労働者側からの通知書は無視せず、反論があるときは書面できちんと伝えるようにしてください。誠実に交渉し、反論を基礎づける証拠を十分に提出すれば、減額交渉が可能な例も多くあります。
合意書を必ず作成する
残業代請求を受けてしまって、話し合いの結果、一定の支払いをするときには、労働者側と合意書、和解書を締結しておくのが重要なポイントです。
残業代請求を受け、労基法に基づいて検討した結果、一定の未払い分の清算をしなければならないとき、かならず、支払い前に合意書を作成し、締結するようにします。
合意書、和解書には次のメリットがあります。
- 支払った金額以上に未払い残業代が発生していたときにも、これ以上は増額されない
- 合意書、和解書の締結以前に行われた残業について、全て支払い済みとなる
- 今後の残業代ルールを、労使間で合意できる
合意書を作成することは、会社にとって有利な効果があります。守秘義務条項によって労働者側に義務を負わせたり、清算条項によってこれ以上の請求を避け、紛争を一回的に解決したりできるからです。
書面化せずに金銭の支払をしてしまうと、追加で更に金銭の請求をされてしまったり、他の社員にも伝えられて、全社的な問題となってしまったりするおそれもあります。
「解決金」として払う
残業代請求され、合意書に基づいて一定の金銭を払うとき、その金銭の名目は「解決金」とするのが実務です。
将来の紛争リスクを避けるため、やむをえず和解をするときにも、会社としては「残業があったのに払っていなかった」という非を認めることはできません。認めてしまうと、他の社員から請求を受けるおそれがあるからです。残業の事実は認めない一方、労働審判や訴訟で勝てるほどの証拠はないときには、「未払い残業代」としてではなく「解決金」として支払うことで、責任それ自体を正面からは認めないという方法です。
「解決金」とは、「紛争を解決するためにやむをえず払ったコスト」という意味があり、決して「未払い残業代があった」という会社の非を認める意味合いは含まれていません。「解決金」として払うことで、会社が法令遵守していたことを示し、他の社員からの残業代請求に対しては「未払い残業代が存在したことを認めてはいない」と反論できます。
「解決金」として支払うときには、未払い残業代の性質ではないため、社会保険料、所得税、住民税などの源泉徴収は行わないことが一般的です。
労働者の退職について定める
在職中の社員から残業代請求されたとき、これ以上会社に居続けてほしくないと考えることでしょう。会社から退職を強要したり解雇したりするのは難しいですが、労働者もまた、退職を前提にして残業代請求していることも多いです。
そのため、労使間の将来の紛争を防ぐため、未払い残業代のトラブルを解決するとき、あわせて、労働者に退職する意思がないかどうか確認しておくようにします。
労働者にも退職する意思があるとき、未払い残業代のトラブルを解決する際、あわせて労働契約関係も終了することを合意書に約束しておきます。このとき、合意書には、
- 退職日
- 退職理由(自己都合か、会社都合か)
- 最終出社日
- 引継ぎの有無
などといった退職の条件を定めておきます。
将来の法令遵守を約束する
残業代請求をした社員が退職しないとき、「今後は残業代をきちんと払ってほしい」と要望されることがあります。また、会社側としても、今後正しく法令遵守していかなければ、再度同じ問題が起こることとなります。
そのため、合意書では、今後の法令遵守を約束しておくことが大切です。
特に、次のような基本的な事項を守れていないときには、ただちに是正することが必要です。
- 就業規則の作成義務がある(1事業所あたり社員10名以上)のに、作成していない
- 36協定を締結し、届け出ていない
- 労働時間を適切に把握していない
正しい労務管理を徹底することは、社員の健康を守るだけでなく、生産性や業務効率を上げるという点で、会社にとっても大きなメリットがあります。未払い残業代があったことや、これまで法令遵守できていなかったことを認めたくないときは、「今後も引き続き、法令を遵守する」という合意書にし、過去の非についてはあえて言及しない方法もあります。
「会社としては残業代を払っていたつもりだったが、社員が隠れて残業していた」というケースでは、今後会社が法令遵守することは当然として、社員側においても「残業許可制を遵守する」、「無用な残業を控える」といった注意事項を定めておくことも有効です。
守秘義務条項を定める
「未払い残業代を請求され、会社が一定額の金銭を払った」という事実は、会社にとって最重要の秘密にあたります。そのため、合意書には守秘義務条項を必ず定めておきます。
残業代請求のトラブルについて他の社員(もしくは元社員)に伝わることにより、残業代請求が全社的に波及してしまいかねません。全社員から残業代請求を受けてしまえば、その合計額は相当高額となってしまいます。
御社が法令遵守をしていなかったというイメージが社外に伝わることは、御社の企業価値を損ねることにつながります。
清算条項を定める
清算条項とは、労使間の一切の債権債務を、合意書の締結によってすべてなくすための条項です。労使間の紛争を一回的に解決するため、必ず定めておかなければなりません。合意書に清算条項を定めておかないと、せっかく紛争解決のコストとして解決金を払っても、あとから追加請求されてしまうおそれがあります。
追加請求されてしまった例には、例えば次のものがあります。
- 解決金として払った金額が、残業代を正確に計算した金額に達していなかった
- 残業代以外の債務(ハラスメントの損害賠償債務、安全配慮義務違反による慰謝料など)が存在した
- 意に沿わない退職、解雇をされたため、退職後の金銭補償がほしい
必ずしも法的に認められる主張ではなかったとしても、将来紛争になりうる労働問題が存在するのであれば、合意書を締結するときに一回的に解決しておくことが会社のメリットとなります。
未払い残業代に関する合意書【書式】
未払い残業代請求の争いを解決するために、労働者側との間で締結しておくべき合意書の書式・ひな形を示しておきますので、参考にしていてください。
ケースに応じて、次の3つの例を紹介します。
合意書は、トラブルの後その社員が会社に残るかどうか(もしくは、既に退職している社員か)といった事情により、ケースごとに内容を検討する必要があります。
個別具体的な紛争の内容に応じて、書式の追記・修正が必要となることがあります。ご不安なときは、将来のリスクを回避するため、ぜひ一度当事務所へご相談ください。
社員が解決金支払後に退職する場合
未払い残業代を請求してきた社員が、解決金を払った後に退職するケースでは、次のような合意書を締結します。
このようなケースでは、労使紛争の一回的解決のため、解決金支払いとともに、退職についての条件(退職日、退職理由など)について定めておくのが重要なポイントです。
株式会社XXXX(以下「甲」という。)とYYYY(以下「乙」という。)は、次の通り合意した。
- 甲及び乙は、乙が20XX年XX月XX日付けで、甲を自己都合退職したことを相互に確認する。
- 甲は乙に対し、本件解決金としてXXXX円の支払義務があることを認め、同金員を20XX年XX月XX日限り、乙の指定する金融機関口座へ振込送金する方法によって支払う。なお、振込手数料は甲の負担とする。
- 甲及び乙は、本合意書の成立に至った経緯及び内容に関する一切の事項について、正当な理由なく第三者に開示、漏洩せず、互いに誹謗中傷しないことを相互に確認する。
- 甲及び乙は、甲と乙との間には、本合意書に定めるもののほか何らの債権債務のないことを相互に確認する。
以上の合意が成立した証として、本合意書2通を作成し、署名捺印もしくは記名押印の上、甲乙1通ずつを保管する。
20XX年XX月XX日
【甲】
【乙】
元社員からの残業代請求の場合
退職済の元社員から未払い残業代を請求されたとき、次のような合意書を締結します。
このケースでは、退職条件を定める必要はなく、解決金の支払いのほか、守秘義務条項、清算条項を定めておきます。
株式会社XXXX(以下「甲」という。)とYYYY(以下「乙」という。)は、次の通り合意した。
- 甲は乙に対し、本件解決金としてXXXX円の支払義務があることを認め、同金員を20XX年XX月XX日限り、乙の指定する金融機関口座へ振込送金する方法によって支払う。なお、振込手数料は甲の負担とする。
- 甲及び乙は、本合意書の成立に至った経緯及び内容に関する一切の事項について、正当な理由なく第三者に開示、漏洩せず、互いに誹謗中傷しないことを相互に確認する。
- 甲及び乙は、甲と乙との間には、本合意書に定めるもののほか何らの債権債務のないことを相互に確認する。
(…以下略…)
社員が解決金支払後も在職する場合
残業代請求した社員が、その後も在職しつづけるとき、合意書の作成にあたっては、将来の遵守事項について慎重に定めておかなければなりません。
将来の遵守事項を定めておく理由は、次の2つの点にあります。
- 会社側に法令違反があったことが明らかになったとき、その点を是正することを約束する必要がある
- 社員側に会社が想定していない残業があったとき、将来的に社員に望む行為規範を理解してもらう必要がある
残業代請求をした社員が、今後も会社に残り続けるということは、これまでと何も変わらなければ、再びあらたなトラブルが起こる危険がとても高い状態です。また、社員が今後も在職するときには、今後もつづく労使間の雇用関係から生じる債権債務について、清算条項の対象外としておくことが必要です。
株式会社XXXX(以下「甲」という。)とYYYY(以下「乙」という。)は、次の通り合意した。
- 甲は乙に対し、本件解決金としてXXXX円の支払義務があることを認め、同金員を20XX年XX月XX日限り、乙の指定する金融機関口座へ振込送金する方法によって支払う。なお、振込手数料は甲の負担とする。
- 甲は、労働法規に従って36協定を締結し、今後も労働時間を適正に把握し、時間外労働が発生した場合には労働基準法所定の割増賃金の支払を行うことを確約する。
- 甲及び乙は、本合意書の成立に至った経緯及び内容に関する一切の事項について、正当な理由なく第三者に開示、漏洩せず、互いに誹謗中傷しないことを相互に確認する。
- 甲及び乙は、甲と乙との間には、労働契約関係が成立していることを除いて、本合意書に定めるもののほか何らの債権債務のないことを相互に確認する。
(…以下略…)
合意書を事前に結び、残業代請求を回避する方法
ここまでの解説は、労働者側から残業代請求されてしまったとき、そのトラブルを終了するときの合意書の注意点でした。
しかし、合意書をより積極的に活用するためには、労使間の対立が表面化してしまう前に、社員との間で合意書を結び、残業代請求そのものを回避する方法が有効です。この方法には、次のメリットがあります。
- 残業代請求を、労働審判・訴訟などで争うための紛争コストが不要となる
- 社員が有効的なうちに合意することで、会社側の考え方が受け入れられやすい
- 必ずしも法律にしたがって正確な残業代でなくても、合意できることがある
残業代請求を回避するためには、正しい労務管理をすることが大切です。
昨今増えているリモートワーク下においては、オフィスで働く場合に比べて労務管理が難しくなります。しかし、リモートワークだからといって残業代の支払義務がなくなるわけではありません。
タイムカードだけでなく、ウェブ勤怠システムの導入など、労働時間を適切に把握する仕組みを、会社側が率先して取り入れていき、会社の実態に即した労務管理ルールを作っていくことが重要です。
まとめ
今回は、労働者側から未払い残業代の請求を受けてしまったとき、会社側で注意しておくべきポイントについて、紛争解決時の合意書を中心に解説しました。
特に、在宅勤務、リモートワークなどが増えて働き方が多様化し、労務管理はますます難しくなっています。「残業代が発生しない」というほうが限定的だということを理解し、きちんと労働時間の管理をしなければ、残業代請求されたときに大きな損害を被ることとなります。
当事務所のサポート
弁護士法人浅野総合法律事務所では、人事労務分野を得意としています。残業のルールについて労務管理を徹底すれば、社員からの残業代請求を未然に防止することができます。
会社内の労務管理、その他の人事労務の問題についてお悩みの会社は、ぜひ一度、当事務所へご相談ください。
人事労務のよくある質問
- 残業代トラブルで社員と和解するときの注意点はありますか?
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残業代トラブルが起こってしまった会社が、社員と和解するときには、かならず合意書を作成しておかなければなりません。合意書は、将来の追加請求などのリスクを排除するために役立つからです。もっと詳しく知りたい方は「未払い残業代請求について社員と合意するときの注意点【会社側】」をご覧ください。
- 未払い残業代について社員との合意書には何を書けばよいですか?
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残業代トラブルの解決時に社員と結ぶ合意書に書くべきことは、その社員が今後も会社に残り続けるかによって異なります。特に、社員が今後も在職しつづける場合には、合意書で、残業についての労使の認識の差を修正し、ルールづくりをしなければなりません。詳しくは「未払い残業代に関する合意書【書式】」をご覧ください。